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カテゴリー: Blog

なぜ私は私なのか

初めての方への説明です。
これは僕がとある仕事の報酬で手に入れたスターバックスのカード15000円チャージ済みを、「知らない人に会ってスタバを奢って自分の知らない話をひたすら聞く」だけの為に使う企画で、その取材をまとめたブログです。
今回はその第3回となります。第1回はこちら 第2回
雰囲気重視なので録音無しの記憶のみ、読み物としての流れや個人の特定に繋がる情報、万一相手の知り合いが見た時にまずい話題は避けた為、実際の会話から多くを脚色をしています。
では何の為にこんなことをするのかというと、全然わかりません。でも、こういう事が続くと良いな、と思っています。


「失礼、になるのかちょっと分かんないんですけどC子さんって、ギャルでしたよね?」

「ギャルでした!えー、わかりますー?なんか皆からノリ軽いとか言われるしイジられるし、やっぱ出ちゃってます?あはは…。で、そもそもヨガには八支則(はっしそく)っていう8つのステップがあって、いわゆるヨガ!みたいなあのポーズは”アーサナ”っていう3つ目の段階なんですよ」


1月の吉祥寺は穏やかに晴れていた。平日の昼というのもあり、街からは年末年始の慌ただしさが消え、太陽の光はまっすぐに伸び、巨大なイルミネーションや目を惹く広告に遮られること無く、行き交う人それぞれに等しく降り注いでいた。そんな風に見えた。駅前はいつもやかましいが、心なしかボリュームが絞られているように感じられた。よく知っている風景の中で、多くの人が日常を再開し、新たな1年といつも通りの風景を静かに駆動させていた。


C子さんの見た目がギャルかと言えばそんなことはなく、クリーム色のハーフコートにフェイクファーの襟巻きの質感とライトブラウンの髪がよく映えている。足元はよく履き込まれたドクターマーチンで、上品さの中にあるドクターマーチンはとてもカッコいいものだなと再認識した。ギャルっぽくはない。と同時に、ヨガインストラクターにも見えないファッションだと思った。ただ、
「ヨガはマジ人生」「…一体になっていって…アートマン〜!みたいな笑」
という話しぶりに、僕はたしかなギャルを感じたのだった。そしてとてもよく笑う人だった。決して嫌な笑い方ではなく、言葉の最後に花びらを散らすような笑い方だ。

「アートマンっていうのは、私の中の中の中の、すべて!みたいなものです」

「自我のようなものですかね?」

「それよりももっと根源的なものですね」

「あぁ、でもそういう事はしょっちゅう考えますね」

「ほんとですか!たぶんヨガ超向いてますよ、やります?笑」

話ぶりが驚くほどフランクかつ見た目もいわゆる精神世界の話をする人には見えないので、話している内容との乖離が大きくなっていく。だがその内容はたしかな知識と経験に裏打ちされたものなので聞き入ってしまう。見ているものと聞いているもののギャップで頭が混乱しそうになる。そこへ追い討ちをかけるかのようにC子さんはバイク好きかつ5歳の娘の子育ての真っ最中なのだ。

「バイク好き、との事で、僕はバイク乗らないんで詳しい話出来なさそうなんですが、きっかけって何でした?」

「きっかけは10代の頃に付き合ってた人のバイクの後ろ乗っけてもらった時ですね」

「僕もたまに機会あります。あれ最高に楽しいですよね」

「もう楽しいなんてレベルじゃなくて、私そのとき”なんで私が運転してないんだ?”って思っちゃって」

「”なんで私が運転してないんだ”??」

「そうです、自分の意思でこれ動かしたい!!って強烈に思って」

「あぁ、それわかります。たしかに、自分にバッチリ”合っちゃった”ものって理由なく自分でやってみたくなりますよね」

「そうそう!その時なんかよく分かんないけどバーン!ってなる」

「なんか”好きな事で生きていく”みたいな思想というか風潮?が世の中にありますけど、僕はそのC子さんの言うバーン!とか自分の意思で動かしたい!の気持ちや、心の在りかたの方が大事だと思うんですよね」

「それっぽいものをなぞってても、虚しくなっちゃいます。自分が”こうしたい!”って思う事に嘘ついてちゃダメですよね。アキラさんの言ってるのって”他人に見られる用の好き”みたいな事ですよね?」

「そうです。自分の好きなものなのに、いつの間にか人の為に我慢したり、周りの視線の為にやたらと好きをアピールしてしまう事って、あると思うんですよ。特に現代では」

「センタリングがうまく出来てないですね」

「またヨガだ笑」

「だはは笑 でも私は結婚して子供産んだ時、そこブレちゃってて。まだヨガ始める前で”何かあったらいけないから”っていう理由でバイクやめてほしいって言われて。でもそう言った旦那が子育て全然協力してくれなくて、ほんと超絶幻滅して、経済的に考えたら一緒に居なきゃだし、娘のこと大好きだし、他にも色んなこと我慢して、苦しくて」

「子供は欲しかったんですか?」

「欲しかったです。そろそろかなーつって産みました笑」

「でも苦しい日々だったと。後悔はありますか?」

「全然!娘がこれ以上ない存在ですから。宝物です。そんで、ある時爆発したんですよ私が、旦那に対して。もう自分のやりたい事やるし我慢しないから!って」

「うーん。でも、子供の立場は?旦那さんというより、娘さんの為に我慢する、子の為にとりあえず家庭の形を守っておく、という考え方って一般にあると思うんですけど、どうですか?」

「いや、それって私が娘の立場だったら”そんな気遣われたくないんですけど”ですよ。私も娘だったからこそ言えるんですけど、いつかは分かるんですよ。その分かった時に”いやあなたの幸せを追求してくれれば良かったのに”って思うはずなんですよ。思ったし。もちろんバランスは大事ですけどね。そもそも、お前の為だよ、って言われるのって全然優しさじゃないし、なんか厚かましいっていうか、私は嫌」

「たしかにそうですね。始めから家庭を顧みない親っていうのとはまた違うケースですもんね。人の為に自分から止まっちゃ良くないと」

「そんな姿みたら申し訳なくなっちゃうじゃないですか。しかも娘を言い訳に自分のやりたいことから逃げてるのかもしれない、っていう見方もできるわけで。だから、我が家は私の背中を見ろっていう方針です笑」

「かっこいいなぁ。むずかしい問題ではあるけど、利己的じゃないワガママって必要ですよね。表立って言うのがむずかしいけど」

「そうなんです。まさにそれで、八支則(はっしそく)では”自分の利益だけを守る考え方は良くない”とされているんですけど、同時に”嘘をついてはならない””自分に正直に生きていれば嘘をつく必要はない”という教えもあるんですね」

「矛盾してるようで矛盾してないですよね。人の為に自分を殺す事は結局人の為になっていないっていうか、自分を殺すような選択を良しとする人と一緒に居るべきではないと僕は思います。お互いに与え合える関係でないと」

「そう、だから私は私であることがとても重要なんです。アキラさんもそうですよね?」


哲学の問いに「なぜ私は私なのか?」というものがある。C子さんの話を聞きながらずっとこの事が頭の片隅にあった。

なぜ僕は僕なんだろう?沢山の人がいて、人間としてほぼ同じつくりなのに、なぜか僕が叩かれた場合のみ痛い。僕が眠った時だけ、世界は真っ暗だ。

もっと言えば、何千何万と続いてきた世界の中で”なぜか”この現代を”なぜか”僕として生きている。別にそうじゃなくたって、たとえば今を生きる僕を別の誰かがやっていたって、何らおかしくないのに、だ。また、それをおかしいと思う時の、その「おかしみ」は一体なんだろう。

「人生は一度きりだから後悔しない生き方を」というようなセリフを耳にする。しかし「人生一度きり」という一回性よりも「僕が僕として生きている」今この瞬間の方が、何億倍も「まれ」なことなのではないか。さらに言ってしまえば「僕が僕として生きている」それこそが「すべて」ではないだろうか。

「〇〇らしい言動」「〇〇らしい格好」「〇〇らしい生き方」僕はそういった言葉や考え方が陳腐で凡庸に思える。陳腐で凡庸な会話は嫌いではないけれど。

これは「他人に自分を評価させるな」という話よりももっと、もっともっと、私的な話なのだ。もっともっと、あらゆることがどうでもよくなった夜に、誰も居ない部屋の中で、または多くの人に囲まれて笑っている一瞬に、ふっと現れるものの話だ。訪ねてくるものではなく、はじめからそこにあるものの話だ。

バイクの後ろに乗ったC子さんは風を受けながら「なんで私が運転してないんだ?」と強烈に思った。

そう、なぜなんだろう?沢山の物があって、現象があって、なぜバイクなんだろう?なぜヨガなんだろう?なぜ、他のことでは「生きてる感じがしない」のだろう?

女性だから、障がいがあるから、思想が違うから、

世の中で語られ支持される、そういった文脈よりも、思想よりも、ファッションよりも、もっともっと根源的な「私」について、

矛盾していても、賛同を得られなくても、らしくなくても、「私」について、

もっと多くの人が考える、いや、思い出すべきだ。「私」を。


以上です。前回が梅雨の頃だったのと、僕は最近まったく文章を書いていなかったので、色々久しぶりすぎてぐだぐだしているかもしれません。

カード残額はまだ1万円あるので、引き続き募集しています。ツイッターのDMからどうぞ。

条件は僕が会ったことない人、です(はじめは色々つけてましたがシンプルにしました)。

ではまた。

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