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限りなく「ほい」に近い「はい」

たまに、”限りなく「ほい」に近い「はい」”を使う人に遭遇する。返事、相づちの話である。

”限りなく「ほい」に近い「はい」”とは言葉の通り、「ほい」的な響きを持った「はい」の事で、これは個人的な印象だが、ストレートに「はい」と言われた場合より少し柔らかい印象を受ける。「そういう半端な返事は気に入らない」という方もきっと居られるだろうが、日々の生活の様々な場面で様々な立場から返事をする事を考えると、それで事足りるとはいえ、手持ちが「はい」だけというのは少々味気ないような心もとないような、そんな気がしなくもなくもないのではないだろうか(半端さをブースト)。

俺はこの返事が好きな方である。好きだ、とはっきり言い切らない理由は、連続で使われるとイラついてくるからだ。”もしや馬鹿にされてるのでは”という疑念が膨らんでいくような感じがする。

この不思議な返事を分析してみよう。

「はい」を避ける事で堅さが取れ、丸みを帯び、さながら粉末タイプの珈琲クリーム2杯分の効果が、そして「ほい」の一歩手前でとどまる事で、いささか間の抜けたすっとこどっこいホイ太郎的イメージを持たれずに済んだり、買い出しのときに米ばかり持たされるような人種差別や、戦隊モノですぐ黄色に喩えられたりするハラスメント、などを受けずに済む。

さらに副次的な効果として「ひょい」的な印象を相手に与える事が出来る。副次的と書いたが実はこれこそが”限りなく「ほい」に近い「はい」”の真骨頂といえる。実際に今日でも明日でも、友人や家族に頼んで言ってもらうとよく分かる。本当はネイティブの人に言ってもらうのが一番なのだが、贅沢は言えない。

「ひょい」的とは、自分が言ったり頼んだりした事があたかも大した事がないかのような雰囲気に変わる、その現象を指す。

例を挙げてみよう。

 

「つまようじ、入れ物ごと落としちゃった。ぜんぶ戻しといて」

「(限りなくほいに近いはい)」

 

また、

 

「俺やっぱ、お前の地元の友達好きじゃないわ」

「(限りなくほいに近いはい)」

 

いかがだろうか。

面倒な事も精神にグサリと来る一言も「いいよいいよー、それで?」くらいのノリで受け流す、それでいて完全に無視してない距離感。色々経験してきた大人の余裕めいたものが感じられないだろうか。これは洋服の着こなしや朝活の類いでは得られない種類の余裕だと俺は思う。

これがもし「はい」なら「さようですか、ならば」とばかりに現場はピリピリ、または殺伐としまうだろうし、「ほい」なら一瞬、牧歌的な雰囲気にはなるものの、冷静に考えると会話が成り立っていない事を相手に気づかれ「馬鹿にしているんだろう」と叱られる可能性が高い。

母音が「あ」か「お」かでは、相手に与える印象が極端に変わってしまう。もちろん子音でも変わるが”限りなく「ほい」に近い「はい」”の凄いところは、子音から母音に移行する”その中間”に変化を加えている点にある。わずか0コンマ何秒の口腔内の変化が、大人の余裕を生み、人間関係を円滑にし、ブログのネタになっている事実。なっている、事実(エコー)。

そして、連続して使われるとイラつく原因は、「大した事ないよ」という性質を持った返事を繰り返すうちに「お前は大した事ないよ」「お前ら大した事ないよ」「お前とその3親等すべて大した事ないな」と言っているようなニュアンスを図らずも生んでしまう点にある。これは、”悪意を持って相手を貶めるより、無自覚な言葉の乱用の方がかえって人を怒らせ傷つける”事の代表的な例である。何事もほどほどが大事なのだ(適当)。

 

あなたの周りにも”限りなく〜”使いがきっと居るはずだ。居ないかもしれない。そんな時はまず自分から”限り〜”を使っていこう。ひょいっと。

 

長々書いたが、「はい」のみを様々なトーンで使いこなせる人間が一番強い。

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