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ながら族、生き長らえる

ハンズフリー機能で通話しながら歩いている人に、いまだ見慣れない。どことなく違和感があり、見かけるたびに、気がふれた人なのかなと思ってしまう。気がふれた人には慣れているのだが。

ハンズフリーで通話している側が慣れていない場合もある。すれ違う前、俺が「おや?(気でもふれたか?)」という視線を投げかけると、相手は即座にイヤホンコードのマイクを口元へ近づける。これはビギナーである。プロは違う。もっと堂々としている。通話中、フリーになったハンズを蝶々の形にしてひらひらさせたり、高速で手をすり合わせ摩擦熱を起こすことなんかも出来るし、お弁当箱におにぎりちょいと詰めるジェスチャーをすることだって出来る。全日本ハンズフリー協会の規定によれば「通話を途切れさせることなく、ハンズのみで第三者同士の喧嘩を止めること」が出来た者に”おまえ・超・フリーダム”の称号が贈られ、名前入りのタオルまで貰えるという。フリーになったハンズで引っ叩かれそうなので冗談はよそう。

観察の結果、「あいた両手で何をしているのか」で違和感のレベルが変わってくることが分かった。たとえば、配送など車の乗降と通話が多い仕事のツールとして「ながら」が出来るのは大変便利であり、見た目に違和感はない。お陰で、いつ直電しても担当ドライバーが応答してくれるようになった(これが本当に良い事なのかは疑問)。やはり、運転をはじめとした、両手がふさがる作業との相性が良いように感じる。だからといって、陶芸家がろくろを回しながら、とか、板前が飾り包丁入れながら通話している未来というのは、ちょっと想像したくない。

すでにお気付きの方も居られるかもしれないが、コールセンターの業務など特殊な状況でもない限り、ハンズフリー機能は「電話を受ける側」それも「受けざるを得ない状況」用の機能だと言える。電話はあとで掛け直すことが出来るし、メール機能を使えば相手に電話を受ける手間を取らせることなく要件を伝えることも可能だ。

歩きながらハンズフリー通話している人達は本来、効率化や見た目のスマートさを求めているはずなのに、実際はそのほとんどが手持ち無沙汰であり、要するに「”両手をあけて通話をする”をする為に通話している(←入力ミスではありません)」のであり、これは手段の目的化と言えるような有様で、かえって非効率に見える点がいっそうもどかしく、そこに違和感を覚えるのではないか。

だらだらと理屈を書いているが、「オレ今、手ぶらで電話してるぜ未来フゥーーーゥ!」というシンプルな気持ちなら良く分かるので、皆がそういう理由だったら嬉しく思う。

 

「端末を頭部に近づける事で、電磁波が脳へ影響を及ぼすから」という理由がある。しかし、あらゆる信号や電波が四六時中ワイもファイもと飛び交う現代社会で、今さら電磁波の事を気にかけるのは些か近眼的と言わざるを得ないし、メールしよう。と言いたくなる。また、脳はダメで卵巣や睾丸、腸や心臓はいいのか、とも思う。基本的に何も確かめずに便利さと安さと刺激を貪ってきた俺たちじゃないか。大丈夫さ。

「顔に触れて画面が汚れるから」という理由もあるだろう。しかし、我々は汚れているのだ。我々が汚れきっているという揺るぎない事実を、スマホの画面は教えてくれているのだ。鏡の中の自分は「鏡の中用の作られた自分」でしかなく、写真は誇張と修正で現実逃避する為のツールと化してしまった。それよりも、暗くなった画面に反射した自分。ふとした瞬間にインカメラで映し出された自分。油断しきった表情、半開きの口、死んだ魚のような目。画面に付いた皮脂、ファンデーション、スワイプの跡。それこそが、我々のありのままの姿なのだ。スマートになったのは商品とシステムだけだ。

我々は、

石鹸に付いた髪の毛、Tシャツの醤油染み、買い替え前の歯磨き粉チューブ、書き損じハガキ、卵ポケットの練りわさび小袋、ファストファッションの中古品、半額の惣菜、網戸に空いた穴、アダルトサイトのバナー広告、手付かずの柴漬け、雨漏りを受ける衣装ケース、炭酸の空きペットボトルに入った麦茶、求人情報誌の集合写真、書き損じハガキ、カラオケ屋のシャンディガフ、駅トイレの湿気、別れて余ったコンドーム、冷凍食品コーナーの霜、組み立て式家具付属の小スパナ、抹茶味のおみやげ、洗濯されたレシート、おもちゃの手品グッズ、F.A.C.K.のスプレー書き、自分の鼻の下を嗅ぐ、付き合ったら急に名前呼び捨て、Lサイズの宅配ピザ注文し余らす、寄せ書き少なめ、中古品1円〜、ごま塩振って塩ばかり出る、切手シート当選の年賀ハガキ、書き損じハガキ、使用済み傘袋入れ、半年前のギャグ、過払い金が戻る可能性、32越えて突如セックスを語り始める、「得意料理はパスタ」、「期待を込めて星4つかな」、「合皮かぁ〜そっか合皮かぁ〜」、「リアルタイムで見てたわ」、「君あの人に似てるよね」、

などを抱きしめながら、もうしばらく生き長らえ、ひとり残らず死を迎える。

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