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要冷凍、然るべきとき火葬

2005年に万博が開催されたのを憶えているだろうか。

その名も「愛・地球博」。

場所が愛知県だった、と説明するのには少しばかり勇気の要る、絶妙なネーミングセンスである。

テーマは、自然の叡智(Nature’s Wisdom)。

俺は愛知県出身で、当時高校生だったので、学校行事の一環としてこの万博に行った。そしてシラけていた。一般的に高校生は、こういった国をあげての一大イベントに対して、シラけなければならない義務があり、正確に言うと世の中全ての物事を斜めから見る義務があり、ついでに500ml紙パック紅茶(または清涼感のある乳飲料)を阿呆のように飲む事も義務付けられている。

なので当時の万博の様子は、ほとんど記憶に無い。

が、凍ったマンモスが展示されていた。その事は憶えている。「カメラのフラッシュを焚くと、マンモスに悪影響が出るのでやめてください」という注意書きも憶えている。マンモスにとっての悪影響って何だ。

その他いろんなパビリオン(パビリオン!!)を見たはずだが、何ひとつ思い出せない。いまネットで調べてみたがどの記事もピンと来ない。おそらく記念で残しているのだろうホームページが非常に見づらい。マンモスがどこに展示されていたのかも分からない。ただ、当時世の中が「エコ」と「グローバル」に狂っていたことが良くわかる貴重なホームページかもしれない。ぜひチェックして欲しい。

こんなことで俺は万博に行ったと書いていいものか。少なくとも、万博によって何か気づきや学びを得たか、と訊かれたら何も答えられない。

 

話変わって現在、俺はもう紙パックの紅茶なんて飲まないし、物事に対し斜めに見る傾向が依然として強いけれども、真っ直ぐ向き合う事も出来る。一人で生活し、自炊をするし、決められた日にゴミを出す。

ものすごく暑い日が続いている。ゴミ回収の業者は朝から大変だ。まぁ外の仕事はどれも過酷だろうが、ゴミの場合、気温の上昇に伴って臭いがきつくなる。それでなくとも、人はゴミとみなした物の扱いが雑になりがちなので、回収業者は臭いや汚れなんかより、ゴミを出す人の精神性と格闘しているのではないか、と想像する。

生ゴミの臭いは不快だ。こうして書いてあるだけで不快になる方もおられるだろう。できれば嗅ぎたくない。しかし生活していればゴミは出る。これはどうしたものか。

一人暮らしを続けるうち、俺はいつからか、凍らせるようになった。

ちょ、ちょいちょい待って、嫌な顔しないで。そんな顔しないで。大丈夫だから。

言葉が良くないですね。「生ゴミ」を凍らすのは確かにヤバイ、どことなく風紀を乱す感じが致します。しかしながらですね、しかしながらですよ?たとえば、調理中、切り抜いたキャベツの芯を、放置せず、冷凍庫に入れ、凍らせたら、これ、「凍ったキャベツの芯」でございます。もうまごうことなき「凍らせキャベ芯」でございますから。これ、つまり「生ゴミ」とは全く別物の、冷凍した食材でございますね。また、「般若のお面」を凍らせたら「凍った般若のお面」です。ここまではだいたい皆さん宜しいでしょうか?半分くらい帰られたみたいですが、残りの方々にはお話続けさせていただきますね。えー。えー、自分の話ばかりで恐縮なのですが、わたくし、高校生の頃、万博に行ったことがありまして、そこで、はるばるシベリアの永久凍土からやってきたマンモスを見た時、身体中を電気が走るような衝撃を受け、こう思ったのです「冷凍食品!!」と。そして同時にこうも思いました。「これで生ゴミとおさらばだ!!」と。もうほとんど帰られたみたいですが、独り言のほうですね、続けさせていただきますね。我々は炎を操るようになった時点で猿から一線を画した、高度な知能を持つ存在にー

と、のたまう輩は凍らせると、黙る。マンモスもめちゃくちゃうるさかったかもしれない。やかましさとニオイは比例する、と今ふと思ったのだが、どうだろう。そんなことないか。

俺はこの「食材の残り部分を凍らす」手法をひとりで勝手にやっていたのだが、今回それを書くにあたって調べてみると、これは結構ポピュラーな手法のようだ(賛否両論だが)。「人として道を外れている」という意見もある。べつに反発はしない。まぁでも一人暮らしだからこそ出来る事だなぁ、とは思う。ちなみにこれを始めてから、害虫と呼ばれる類をほとんど見ない(お互いの為に良い)。三角コーナーも要らないし、生ゴミの臭いとは無縁だ。

「腐敗」とは微生物による有機物の分解であり、生命の大きなサイクルの一部なので、生き物である我々が無意識に「腐らせたい」という願望を持っていても、不思議ではない。それこそ「エコ」だと思う。ただ、俺は回収業者が来るまで、意識的に腐敗を遅らせたい。これは生き物らしくない発想かもしれない。

食材はどこから「ゴミ」になるのだろう。スーパーやコンビニで売っているカット野菜は生ゴミっぽくないか(最低?)スムージーなんかも見ようによっては

身体の表面や内側で、今日も微生物が腐らず頑張っている。そのおかげで我々は「生ゴミ」にならずに済んでいる。そんな自然の叡智(Nature’s Wisdom)をよそに、人間は沢山の食料を残し、放置し、腐敗させ、遠ざけ、鼻をつまんで蓋をしている。ゴミは一体、どちら側なのだろうか。

「自分の生活の範囲だけ腐らなければいい」と考える俺なんかがそうと言える。

この冷凍方式。ゴミ回収業者が「余計なことすんな」と思っている可能性は、ある。

どうも。「見ようによっては生ゴミ」こと俺です。

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