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とある法則の話

「質量保存の法則」というものを学校で習った。化学変化の前後では物質の総質量は変化しない。という化学の法則だ。たとえば、水素と酸素がくっついて水になる場合、くっつく前の水素+酸素の質量と、水の質量は変わらない。しかしこの法則は現在「厳密には成り立っていない」とされている。実際、水素+酸素より水の方がほんの少し軽い。これは水が出来る際、熱エネルギーが生成される為で、当然といえば当然。なので最近は、どちらかと言えば「中学理科で習った常識は間違っていた!」みたいな触れ込みでやいのやいの言われている。

だが待たれよ、と俺は思う。この法則は、質量=エネルギーの概念がまだ無かった時代(1774年)に提唱された法則である。アインシュタインが1905年にE = mc2を発表するまで(アルバムみたいだな)、130年もあるし、現在から遡れば244年も前の概念、というか1人のおっさんの「きっと、こんな感じなんじゃない?」である。それはもはや、ザビエルの髪型やコギャルのルーズソックスに対して異を唱えるのに等しい行為ではないか。「常識を打ち破る」にも鮮度が大事だし、常識があるから「常識を打ち破れる」という事を忘れてはいけない。不毛だ(ザビエルは関係無い)。俺は質量保存の法則が、隔世遺伝でE = mc2を生み出していると感じるのだが、そういった構図、ある種の系譜、ルーツを感じられる事にロマンがあると思う。ロマン、とか言ってるので、俺が専門知識を持ち合わせていない事は充分理解して頂けたかと思う。

 

10月からタバコが値上がりする。俺は喫煙者だが、もう何度も禁煙に成功し、卒煙の想い出を重ねている身なので悲鳴は上げない。他の喫煙者をとくべつ擁護したりしないし、嫌煙文化を憂いたり怒ったりしない。まったくどうでも良くなってしまった。どうでも良すぎて吸わない日が何ヶ月も続いたり、と思えば熱心に手巻きタバコを楽しんだりしている。

実際丸2年、意識的に禁煙した事もある。健康効果はあったが、それでも「吸わないときついな」と思い立ち、現在に至る。その「きついな」という理由は、なかなか特殊かつ体質的なものなので、この文章は喫煙を後押しするものではない、という事を示しておきたい。端的に説明すると、

俺は体質的に嗅覚が鋭く、鋭敏という言葉を使ってもいいくらいのレベルであり、禁煙していると匂いで気が狂いそうになる。だから、たまにタバコを吸って嗅覚を鈍らせておく必要がある。

禁煙期間中は「非暴力・不服従・無香料」のスローガンを掲げながら、”喫煙者に顔をしかめる非喫煙者”から発せられる匂いに顔をしかめ、精神的にずいぶん鍛えられたものだが、身体には良くない。潔癖症とは違う。たとえ禁煙時エクストリーム嗅覚状態であっても、俺はあらゆる匂いをひとまず許容できる(ひとまずは)。喩えるなら自称霊能者が「視えてしまう」と言っている感じに近い。霊感は全くないが。刑事が「匂いますな」と言うのはめっちゃ分かる。これは冗談です。

で、こういった経験を元に、俺なりの法則というか「きっと、こんな感じなんじゃない?」という仮説が出来た。

それが「毒量保存の法則」である。

実験データが俺ひとりなので、鼻くそをほじりながら読んでもらいたいのだが、

まず、タバコを吸っている俺はタバコに含まれる「毒」が身体を不健康にする。肌は荒れやすくなり、呼吸器系に支障が出やすい。

そしてタバコを吸わず、一定期間を過ごした俺は、健康になり、嗅覚を取り戻し、気が狂いそうになる。

このふたつの状態の、「毒の総量は一定」という大胆な仮説である。鼻くそ取れましたか?

要は、俺が言いたいのは嗅覚ストレスの話ではなく、身体から抜けたとされる「毒」は「身体に悪いものを憎むエネルギー」に変化しているだけではないか、ということだ。元喫煙者が嫌煙家に急変するのはこういった仕組みが働いているのではないか、と推察する。

たしかに身体が健康になることは良いことだ。だが、精神はどうだろう。「身体が健康なら精神も健康」というのは本当だろうか?

沢山の健康法があり、それで身体は良くなる。しかし身体が良くなった事で「許せないもの」が増えていないか?という話。「体内の毒」が抜ける代わりに「毒と見なすもの、それを嫌悪する感情」が増えており、それは結果的に「毒」として身体を、身体でなくとも人との関係性など、生きることの何かしらを、蝕んでいるのではないか。「許せない」「正してあげる」は猛毒である、とする仮説だ。

そして妄言は続くのだが、人それぞれに定められた毒量があり、それを超えたり、また足りなかったりすると、別の形で補い、排出しようとする。水分や塩分と同じように、毒量にも身体恒常性が働いているのではないか、とも考えている。ただ我々はフグやサソリとは違って、どんな毒を持つかの自由があり、それを意識的にコントロールすることも出来る。いわゆる毒舌で笑いを生んだり、深い悲しみから世にも美しい芸術を創り出すことは、毒を違う性質のエネルギーに昇華させる、素晴らしい行為と言える。笑いや美しさが無ければ意味はないが。

怪我も病気も嫉妬も失望もストレスも、別のエネルギーに変えられる。これはまだ等式になっていないが、誰もが知る真理である。

 

痛みを持っている人ほど、人に優しい。なぜなら、もうこれ以上痛くなりたくないからだよっ!!!

健康情報がいつまでも途絶えない現状を、毒量保存の法則を用いて喩えるならば、自分の影を消そうと走り回っているような状態だ。

影のない人は不気味である。

 

ところで、煙の影って見たことありますか?

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