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旅ではなく旅行と言わせてほしい

こういうのを見ると実に正直で、良いなと思う。

俺は自他共に認める「逆ポーカーフェイス」な正直者なので、その正直さにかまけて衝動的に旅行してきた。

旅行といっても、俺は人様に自慢できるようなトピック(温泉や懐石など)に、もうほとんど興味が湧かなくなってしまったので、おそらく人に土産話をしても「お、、おう」となるのは必至である。だがそういった「わかりにくさ」をじわじわだらだらと漏らしていく事はこのブログの大きなテーマ(今考えた)なので、書く。

 

いい名前だ。閉店してそのまま看板を置いておくことで「未完成とは何か」の本質が見えてくるような、いや、でもおしぼりの回収箱があるから営業してるのか。外装を作り込まない事から「未完成」性を表現しているのかな。

 

この店でなくとも世の中に「ノコギリ屋の娘」が実在することに万感の思いである。数ヶ月前「駄菓子屋の息子だった人」と話をして、とても興奮したのを思い出した。

「実家に帰らせていただきます」の意味合いが、それぞれ奥深い。

 

犬だ。

 

「仕事とは何か」を考えさせられる表情だ。こんなに思索にふける犬もめずらしい。彼はニッパー君という事になってはいるが、「俺このままニッパー君で良いのかな」という心の声が聴こえてくる。この直後、我に還ったのか元気に駆け回りだした。俺が頭やアゴの下を撫で、ポケットに入ったべちゃべちゃのササミ肉をやると、犬は「いやぁ悪いね」と礼を言い、しばらく会話したのち(ずいぶん年上だった)、すこし背筋を伸ばした格好で定位置に戻った。

 

猫だ。

彼女はニッパー君を知っており「知ってるも何も、私があの仕事紹介してやったんだからね」との事で、やはり地元の方々なりの混みいった事情があるようなので、それ以上は聞かないでおいた。しかしながら、この距離でもよく声が通ってうらやましい。俺は普段の滑舌がよろしくないので途中何度も聞き返された。でも聞き返す時の仕草が猫らしくとても可愛いので、滑舌を良くしようとは思わなかった。

 

宿泊した旅館は創業が慶応4年(明治元年)とのことで、以前改暦について書いた事と、今年が平成の終わりである事に奇妙な偶然を覚える。そして今回の旅行は、じつは自分の誕生日のお祝いも兼ねており(さびしいね)その日付は9月8日なのだが、何となく気になり調べてみると、慶応から明治に変わった日付は、9月8日である事がわかった。別にどうでもいいっちゃどうでもいいのだが、これも偶然の一致である。

さすがに改築はされているとは思うが、この美しいカーブを描くらせん階段が、創業時の設計だとしたら驚きだ。モダーン、である。しかも右らせんと左らせんがある。まさか、人間が持つDNAの二重らせん構造を表現しているのではないか。だとしたら、モダーン、2である。そして誕生日、二重らせん、改暦、このキーワードが揃った段階で、俺がこの旅館に宿泊することが、つまり大きな意味での、生命の根幹を表現する事に、、はならないんですね、これが。旧暦である慶応4年9月8日は、新暦である平成元年9月8日とは日付が違いますからね。

 

外国人旅行者に向けたガイド本(洋書)があって、発行が1992年だったのだが、これがまぁ面白い。とりあえず寿司めっちゃまずそう。

Eat the wrong part of the humble pufferfish, however, and you drop dead.

ふぐはPufferfishと言うらしい。謙虚なふぐ。

 

「サムライ」についても詳細に解説されている。あぁもっと英文が読めればな。だが俺は、これがどうも怪しい解説な気がしてならない。

というのも、

「ライブハウス、バー」の項。所々に”gaijin bar”の表記。ガイジンバーって何だ。カタカナで書くと戦隊モノみたいだ。あぁもっと英文が読めればな。香ばしい内容だということは、しっかり伝わってくるのだが。

後醍醐天皇に、絵付きでこんなページ割く?

エンペラー・ゴダイゴ

Emperor Go-Daigo ってなんか、「ブイブイ言わしてた頃のダイゴ先輩のあだ名(黒歴史)」っぽくて最高。英文読めない方が、楽しめているような気がしてきた。

 

 

帰る直前、これも思わず撮ってしまった。もう怖い。血文字みたいになっちゃってるの色々マズい。献血に命かけすぎ。

 

で、お気付きの方もいるかと思うのだが、まとめると

 

「いつもと一緒かっ」

 

という一言に尽きる。

言い換えれば、俺はどこに居ようが何をしていようが、する事はほとんど変わらないのである。でも、こういうスタンスを「旅」という言葉で語ったり、自らを「旅人」とするのが非常に苦手で(そういう人がいるのは全然良い)、「ずっと旅行プラン」とか「観光人」みたいにダサい方がいいと思っている。

自分が自分の旅行プランナーであり、自分が楽しいと思うことを毎日、企画し提案し実行できるのは幸せなことである。よほどの極限生活でない限り、毎日を旅行気分で過ごすことは誰にでも可能だと思う。人から与えられる楽しみ方や世間で認められている幸せの形が全てでは無く、むしろそれはごく一部の価値観ではないだろうか。「旅」や「幸せ」という名前をした窪みに、わざわざ自分をはめ込む必要はない。もっと出っ張っているかもしれないのだから。

やらなければならない事も義務も物理法則も、お金や身分の差も確かに存在する。制限を受ける。そもそも命は有限で、老いるごとに身体の自由はきかなくなる。だが「それをどう捉えるか」だけは、誰にとっても、どの瞬間も自由である。

 

という理論で「実はどこにも行ってませんでした〜」みたいなオチは無いです。期待に添えず申し訳ない。

お土産は、大好きな「くるみゆべし」。もう全部食べたので読者プレゼント無し!!!

実際は人との交流が面白かったんですが、諸事情で今は書けないのでまた今度。

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