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コーヒー (1杯目)

コーヒーが無いと何も出来ない。

というのは言い過ぎだが、少なくとも文章は書けなくなる。コーヒー抜きでは歌詞も書けない。動画編集も出来ない。つまりこのホームページを運営する事が出来なくなる。

その反面、コーヒーを飲むとギターが弾きづらくなる。声も出づらい。歌っていて歌詞が飛ぶ。ライブに支障が出る。

これらはカフェインの作用だと思う。日本人は比較的カフェインに強い体質らしいが、俺はコーヒー好き&長く愛飲しているにもかかわらず、1杯でギンッギンにキマってしまう。3杯くらい飲むとヘロヘロカクカクフニャフニャになって、手が震えてくる。むかしライブ前に翼を授ける系のエナジードリンクを飲んで、事故みたいな演奏をした事がある。ちなみに酒には酔いにくいので欧米人的な体質と言えるが、実際の欧米人の飲酒ペースには遠く及ばない(絶対に無理)。

焙煎器やネルドリップにはまだ手を出していないが、それなりに道具を揃え、自分でコーヒーを淹れている。

ハマり出した頃は、いかにもレトロな外装のコーヒーミルを使っていたが、今は完全に実用性を重視した、ステンレス外装・セラミック刃の物を飽きもせずに毎度コリコリ手回ししている。電動は挽き目の細かい調整がきかないし、単純に好きじゃない。

円すい型のドリッパーが好きだ。

湯温86度で早めに淹れるのが好きだ。

酸味のあるコーヒーが好きだが、冷めて酸っぱくなったコーヒーは好きじゃない。

タンザニア・エーデルワイス農園の豆は大変気に入っている。

これは個人的な趣味なので、こだわりを人に押し付けたり、インスタントコーヒーの瓶を片っ端から割るような真似はしない。コンビニコーヒーも良く飲む。「拘(こだわ)り」とは本来、良い意味の言葉ではない。出来るだけ拘らず、好きなものを沢山見つけたいと思っている。

豆には鮮度がある。収穫してからではなく、焙煎してからの鮮度だ。焙煎してから日の経ったものを飲むと、新鮮なものと比べ、手の震え方が違う。身体は正直である。カフェインも劣化による変質があるのだろうか。震えはともかく、味や香りも変わってしまうし、せいぜい豆のままで2週間が限度といった所だろう。でも3週間くらい経った豆も美味しいコーヒーだとは思う。手、カクカクするけど。

身体の反応から察するに、市販の安価なコーヒーに新鮮な豆は使われていないようだ。ただ、コンビニコーヒーは回転率が良いので、実は新鮮なコーヒーを提供出来ている。値段や手軽さも凄いが、鮮度の良い内に飲み切られている事が凄い。それだけ多く求められている事が凄い。回転率で考えると、客がブレンドばかり頼む喫茶店の、単一銘柄豆の鮮度は悪い。もちろん喫茶店には喫茶店の良さがあるし、劣化しない内にうまくブレンドに混ぜて売り切る店もあるだろう。野暮な話かもしれない。

 

日本には「うどんの国」と呼ばれる県が存在するが、俺が生まれ育った愛知県名古屋市は、謂わば「喫茶の国」である。幼い頃から喫茶店に慣れ親しんできた。

今はもうほぼ無くなってしまった、地元の喫茶店たち。休日の朝早く、母親に連れられ近所の店に行くのは、人見知りの子供にとって億劫な事だったが、それでも少し大人の世界に浸れるその空間やそこで流れる時間が好きだった。俺の原風景としての喫茶店は純喫茶というよりはスナックに近い。青と赤のネオンで何が書かれていたのか、英語は分からない。常連の爺さんがふかす煙草の煙なのか、記憶に靄がかかっているのか、俺が思い出そうとしているその風景はひどく曖昧だ。コーヒーの香りは、いつも曖昧な空間に漂っている。食べ切れもしない大きなホットケーキにシロップを垂らし、それが染み込んでいく。上に乗せたバターが溶け、染み込んでいく。俺はそれをフォークで押したり、ナイフで切った断面を観察する。「早く食べなさい」と急かす割には、母親とマスターの話は長引いた。陽は昇っていき、遠くで新聞をめくる音が、出遅れた眠気を醒ましていく。早く帰りたいような、まだここに居たいような。茶色いガラスポットの角砂糖を見つめながら、そんな事を考えていた。

おしゃれも、効能も、カルチャーも、無縁だった。

それは生活の一部だった。

皆、コーヒーには何も求めていなかった。

 

そういうコーヒーも、俺は好きだ。

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