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お守りみたいなものだから

ドタバタしているだろうか。もう年末と言っても差し支えないだろうし、年末におけるドタバタは、個人の能力の評価よりもひとつの風物詩として扱われる傾向にあるので、おおいにドタバタしようぜ。と俺は思う。だが、異例の猛暑だったり暖冬だったりで季節感のズレが生じている今年度である。今のところ目立ったミスの無いあの人もこの人も、おそらく3月ごろになって何かやらかすに違いない。そんな時は「あ、年末の分かな…」などと想像することで、まるで漬け込んだ梅酒の様子を見ているかのようなやさしい気持ちになれるだろう。そして誰も傷つくこと無く、皆んな穏やかで、微笑みをたたえながら、ただただミスだけが露呈していき、だらしのない世の中になって行くだろう。

そういうことにならぬよう年末調整があるのだと思う。もうこれは敢えて忙しい年末にねじ込んでいるとしか思えない。国から我々へ、行政を通じた喝であり、アメでできたムチと言えるだろう。そして役所に赴けばサディスティックな応対をされることが珍しくなく、何かひとつミッションを成し遂げる為にゲレンデが溶けるほど待たされたり巡回警備員ばりにあちこち回らなければいけなかったりする。一瞬、みんなふざけているのかな?と思う。でも見渡す限り誰も笑っていない。これら悲喜劇的なドタバタを伝統芸能として守り抜くのが役所のお役目なのだとしたら俺は応援したい。(コーヒーの飲みすぎですので気にしないでください怒ってません)

旧体制しかり、などと言えばそれまでだが、たとえば印鑑証明や印鑑そのものの存在意義は何とも不思議である。海外では直筆サインが基本だし、悪事をはたらく場合、本人の筆跡を真似るより印鑑のコピーを作る方が効率が良いので、セキュリティ面に不安がある。特殊な苗字でない限り簡単に手に入るし、本人を証明するものとしての能力はかなり低いと感じる。捺印した時にもカスレや滲みがあれば受理されないし、そもそも印鑑証明の書類がなければ証明にすらならない。冷静に考えるとかなりおかしな風習だ(風習と言って良いだろう)。

という考えを持つ俺なのだが、数年前とある女性から聞いた話が気がかりで「印鑑なんて無くなれ!」とはどうしても思えない。今日はその話を書こうと思う。今回は大作だ。

 


 

女性は現在もうすぐ70に差し掛かろうという年齢、話は幼少期にまで遡るので時代背景的には昭和30年代である。

山に囲まれた田舎で8人兄弟の真ん中っ子として元気に育った。田舎と言っても完全な山岳地帯では無いので、鉄道の駅もあるし小さな商店街もある。とはいえ当時はまだまだ娯楽も少なく、親は家事と子守に付きっきりで、学校から帰ってきても家に居させてくれない。上の兄弟について行ったり、友達と連れだったり、とにかく遊びまわった。だが次第に遊びの種類も場所も限定されていく、兄弟たちの輪にも飽きてくる。子供は遊ぶのが仕事なので、この心情の変化は彼女にとって死活問題である。

いつしか一人で街をぶらつくようになった。お金なんて無いからただ本当にぶらつくだけ。ウインドウショッピングなんて概念は無かったから商店には近づけなかった。冷やかしか!と怒鳴られるのがオチだろう。それでも遠巻きに眺めているだけでも、そこには子供の仕事とは違う大人の仕事、時間の流れ、空気が感じられた。友達と遊ぶよりも早く時間が過ぎて行く。

そんな散策を繰り返すうち、彼女はある店を発見する。薄いガラス戸の中では一人の老人がしきりに何かを削っている。近づいて行くと老人はこちら見た。しまった怒鳴られる!と思いきや彼はまた視線を手元に落とし、作業を続けた。

その日はそのまま、老人は木を削りっぱなし、彼女はガラスに張り付きっぱなし。やがて日は暮れ、すべての子供は灯りのつく家に帰った。

今度は初めからこちらに気づいているようだった。老人は 入っておいで、と手招きする。周りを見渡し、誰にも見られていないことを確認して彼女はガラス戸を開けた。木材の香りと暖かい室内の空気に、とても他所の家とは思えない安堵感を覚えた。「めずらしいねぇ、うちの子でも見に来ないのにねぇ」

印鑑屋だった。老人は毎日毎日印鑑を彫っていた。ショーケースとも言えない小さな木枠の中に、出来合いの印鑑が並んでいる。そこに掘られているのは文字というよりかは模様のように見えた。

「好きなの?印鑑」

「ううん、わからない、見てるだけ」

「そうなの」

「見てるのがいい」

「うんうん、いいよ見てて」

それで充分だった。その瞬間から、そこは彼女の新しい居場所になった。別にいじめられてる訳でも、兄弟仲が悪い訳でもない。でも兄弟の真ん中としての「たしかにそこに居るのにどこにも属していない」ような、心の中のわずかな隙間を、その老人は見事に埋めてくれたのだった。それからは文字通り暇さえあれば印鑑屋へ行き、ただ老人の後ろに座って作業を眺める事を続けた。不思議と全く飽きなかった。「やってみる?」と言われても首を振り、小さな木片が印鑑に変わっていくのを見届け、日が暮れれば家へ帰った。老人の一家とも交流が深まり、老人の孫にあたる、年の近い姉のような女友達も出来た。

やがて中学生になり、さすがに店に行く機会は少なくなったが一家との交流は続き、卒業する頃にはほとんど身内のような付き合いになった。ちょうどその頃、アルバイトの話を持ちかけられる。一家は印鑑屋としてこのまま生計を立てていく事の不安から、軽食屋を始める事に決めたらしく、その手伝いをして欲しいと言う。さんざん遠巻きに見てきた「お仕事」が出来るなんて、と二つ返事で引き受けた。

軽食屋はそれなりに繁盛し、元々器量が良かったので店からは即戦力として重宝された。何と言っても高校生のお小遣い稼ぎにはぴったりだった。少し貯めればレコードが買えたし、友人とトラックに乗り込んでフォークのフェスにも行った。1969年。遠く街を中心に、時代は大きくうねっていた。

老人は引退という形で印鑑屋を畳んだ。

最後の記念に、そしてこれまでのお礼に、と老人は印鑑をプレゼントしてくれた。そこには下の名前だけが彫ってある。

「女の子はね、下の名前だけがいいの。これはお守りみたいなものだから、大事にね」

彼女は現在もこの印鑑を持っている。

 

時は流れ、彼女も「いい歳」になり「いい人はいないの?」などと周りから言われるようになる。都会は分からないが、当時の田舎はまだまだお見合い全盛。紹介が基本だがなかなか「いい話」が来ない。軽食屋のアルバイトもいつまで続くか分からない。

そんなある日、店の常連である婦人から見合い話があった。いつもの働きぶりを見ている上で「この人なら」と会わせたい人が居るらしい。二つ返事とはいかないが、いつも県外から来てくれる人だし、悪い人では無さそうだし、とこれを了承。

そのままスルスルと流れるようにお見合い結婚。色んな苦労があったようだが、それは今回書くべき話では無い。

子宝にも恵まれた。子供が生まれるたび、届けに捺印した。もちろんあの印鑑で。

最後に生まれたのは男の子だった。

 

それが、俺である。

 

つまりこれは俺の母親の話。

あまり正確に書くと色々面倒な事になりかねないので、ぼかしたり伏せたり脚色しているが、「印鑑というものが無ければ俺はこの世に存在していない」のは事実である。その他はフィクションと思ってもらって良い。

 

調べて見るとわかるが印鑑は、非常に胡散臭い。占いやオカルトやスピリチュアルが複雑に絡んで、法外な値段で売買されていたりする。そして冒頭で述べたように現代ではその使用価値に大きな疑問が生じている。理屈で言えば「要らないもの」と言えるだろう。ただ俺はどうしても気がかりというか、割り切れない。個人的に、理屈で物を考える時、最終的には気持ちの方を重視したくなる。むしろ気持ちの方に落とし込むために理屈を組み立てていると言っていい。そういった傾向というか性向は、今回の話を聞かされる前から備わっているものであり、それを考えると口承や伝統、遺伝や時代を超えて伝わっているもの、伝えようとか残そうという人単位の意思を超えた「うねり」のようなものを感じてしまう。

 

証明の道具でもなく、ご利益のあるアイテムでもなく、「お守りのようなもの」として、印鑑が存在し続ける事を祈る。

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