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幽体離脱して考える必要

これで証明された、というか証明する必要はなかったのかも知れないけど、およそ1年前に挑戦したカフェイン断ちをまた3週間弱やってみて、自分がいかにカフェインによって思考しカフェインによって自己表現しているのかがはっきりした。カフェインを断つとどうなるのかというと1年前の感想であるこちらに書いてある通り(一人称が俺ですが同じ人です)、無気力とはまた違った、かといって悲しいわけでも苦しいわけでもない、どちらかと言えば穏やかな、「にこやかな無」のような状態になる。Twitterの更新が著しく減ったので各方面から心配されたが、1年前と同じように僕は”まぁまぁおじさん”になっていただけであり、ほぼ全ての物事に対して「まぁ、自分が何か物を言うべき事でもないかな、まぁ、気楽に行きましょうよ、まぁまぁ」「まぁ、みんな違ってみんな的なアレがあるじゃないですか、まぁまぁ、ね、まぁまぁ、良いんじゃないですか、まぁまぁ」というスタンスで臨んでいたのでメールの返事とか遅くてまじですいませんでした。

なぜこんなことをするのかと言うと理由がふたつあって、ひとつは体験数1の状態で物事を断定したくない、というもので、自分の体質をはっきり知りたかったから。そしてもうひとつが、カフェイン無しの”まぁまぁおじさん状態”で考えたい事があったからである。

自分は基本的に何か問題に直面したり不愉快な事があれば、それを解決、ないし不愉快に思わないレベルまで理解を深めたい、と考えるたちなのだが、ネットであれリアルであれ世の中には明らかに不愉快な事態に陥っていて自分でも不愉快だと言っているにも関わらず、解決もせずにずっと不愉快だとかけしからんとかつまんないとか言っている人たちが存在していて、人の数だけ様々な考えがあるのは充分理解できているつもりだけどもう少し、そういった考えについての理解を深めたい、と思ったからである。まぁまぁおじさん状態ならばおそらく身を以て理解できるに違いない、というもの。

体感から学んだ事としては「問題を不愉快に思っていない」というものであった。もちろん不愉快に思うし不愉快だと表明する行動に嘘はないのだけど、そうして怒ったり悲しんだりする事が意外と悪くないというか、どうでもよくないんだけどどうでもいいというか、不愉快さを保ったまま充足する、というか、そうしている内に本当にどうでもよくなって忘れる、というプロセスがあるのだな、と感じた。さらに言うと「問題が解決してしまったら面倒くさいな、嫌だな」という気持ちがあった。そんな事を思う自分を自分が驚いた。まぁまぁおじさん状態はまるで幽体離脱して自分を眺めているみたいで、結構面白いのだ。

念のため繰り返すが「不愉快だけど、不愉快じゃない」という心理である。これは前回のブログで触れた事や、増税をはじめとした今の日本の状況に通じるものがあるなと思う。悲しい、苦しい、けしからん、変わりたい、死にたい、日本終わってる、数あるそういった言動の中でも「そう思ってるけど、そう思ってない」という心理で発せられているものが自分はどうも気になってしまう。それは本当にそう思っているの?と。「増税は嫌だけど、選挙は行かない」とか最たるものだと思うけど、でもそういう矛盾した心理を体感できただけでもまぁまぁおじさんになった意味があったかなと思う。そしてこの、考えて、やってみて、自分なりに納得できたという感覚が、いちばん重要だった。幽体離脱して考える必要があったのだ。

たとえば、名探偵は事件が無くなってしまえば名探偵で居られないし、魔王が居るから勇者が存在する、といった「問題があるからこそ存在できている立場」があり、問題を解決することでその人のアイデンティティが損なわれるという懸念がある。「問題が解決してしまったら面倒くさいな、嫌だな」と感じたのはきっとそのせいだろう。ずっと苦悩させ続ける事も優しさのひとつなのかな、とか、悲しんでいる様子をじっと見続ける事も強さなのかな、と今なら思える。他者に対して「その人はそうしたくて、そうしているんだな」と思える。

ただ、自分自身に関しては物事を考え続けたいし、知らない事を知りたいし、面倒くさい事を解決すると楽しいし、不愉快なものは不愉快なので、あまり変わり映えしないが。

最後に、カフェインで考え方がここまで変わるのは個人の特殊な体質によるものなのでこの文章はカフェイン断ちを勧めたり否定したりするものではありません。肌はきれいになりますよ。

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