みえないしさわれないし

  • 2021年8月19日
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ほとんど毎日外出しているのにもかかわらず、私が今だに体調不良を起こしていないのは感染対策がどうとか免疫がどうとかではなく、ただのラッキーでしかない、と確信するくらい日に日に感染症の脅威が迫っているのを感じる。

症状の中に嗅覚・味覚の異常がある。これは昔ひどい鼻風邪をやった時に体験したが、かなりしんどかった。当時はタバコを吸っていて、その味が突然しなくなった事に焦り、あわててコーヒーを飲んだら泥水のような味しかしなくてカップを持ったまま硬直してしまった。簡単に泥水と言っているが実際は泥水に含まれる有機的な気配すら無い、建設現場の生コンクリートの上澄みのような無機質さでもって叩きのめされたのをよく覚えている。

昔から鼻がよく利くので、自ずから匂いフェチというか「におい」に関しては敏感である。昔働いていた職場の、何の交流も無さそうな男女からわずかに(同じ匂いがするな)と思っていたらその二人が不倫していた、みたいな事もあった。タバコをやめてからはその特性はかなり強まっており、今では嗅いだ相手の3日前の晩御飯のメニューがわかる。これは嘘です。

こういう話をすると「クサいにおいとか大変だねぇ」と言われるのだが、「クサい」にも色々あって、引きの画で見ると気持ち悪いものでも拡大すると気持ち悪くなかったりするし、「くせぇ!きめぇ!」という感情の発露はある種の諦め、思考の敗北と言える。でも拡大したってキメェもんはキメェしクセェもんはクセェんだよ馬鹿野郎。という意見もわかる。ただ「クサさ」には必ず理由があって、その根本原因を推察することは決して無駄ではない。

たとえば「風邪の引き終わりのにおい」がある。
風邪のウイルスや外部から侵入した細菌と戦った白血球たち、それらの死骸が喉の両脇にある扁桃のくぼみに溜まる。小さな乳白色のかたまりには件の死骸が数億個ほど集まっているという。これは膿栓(のうせん)といって、普通に免疫系統が機能して扁桃がある人なら多かれ少なかれ誰でも生成されるものだが、この小さな乳白色のかたまりはそのままでもかなり臭う代物なのに、潰すととてつもなくクサい。死骸であっても数億のパワー、その魂が淡い緑の光を纏いながら、ライフストリームへと帰還していく風景すら見える。
風邪の引き終わりは言うなれば合戦後の焼け野原と同じなので、そういった死のにおいが立ち込めているのである。そして風邪の引き終わりが人に移しやすいのは昔から実感を伴って知っているし、今回の感染症も例外ではない。なので私はこの匂いを少しでも察知したらその場から離れる。でもいきなり離れるのも相手の事を考えると何となく悪いなという気がするので呼吸を止めている。これは嘘じゃないです。1秒ほど真剣な目をして、そこから何も聞けなくなるんですよね、私のロンリネスが(ドントタッチ…)と囁くんです。

すれちがいや まわり道を

あと何回過ぎたら

二人はふれあうの

コロナを予見した歌だったんですね。

「目に見えないもの」というと極端なスピリチュアルや陰謀に流れがちな世の中ですが、鼻の穴かっぽじって公園に出かけてすんすんふんふんするのも良いんじゃないでしょうか。

ちなみに今時期で私が好きなにおいは「部屋のクーラーかけたままの状態で一旦風呂に入って、部屋に戻ってきたときのにおい」です。あまり賛同されませんがこの瞬間にタバコの残り香があるとなお良し、です。

 

みなさんどうか無事にお過ごしください。