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俺は分かってるから大丈夫だよ

生姜をする。

 

醤油をかける。

 

朝食には遅すぎる、だが昼にはまだ早い。

午前中最後の光を浴びたその冷奴は、かすかに湯気を立てている。

 

 

とある年末に食べた、この「湯気の立った冷奴」こそがマイ・ベスト・ヒヤヤッコである。

 

 

あの豆腐屋のおばちゃんはたぶん、水生動物なんじゃないか。

 

店の奥の住居スペースから のっそり出てくる様や、床タイルの上をゴム長でどってりどってり歩く姿をみる度に思う。

「木綿ください」はどことなく「ごめんください」に聞こえるので、俺はいつもその中間の発音で呼びかける。

おばちゃんは

「あい」

と返事し、でっかいシンクの底に沈んだ豆腐たちを見る。伸ばされた左腕は静かに入水し、木綿を抱きかかえる。追って豆腐包丁を持った右腕が、木綿のかたまりをそれぞれ独立した木綿一丁に変えていく。水中での動きはきわめて的確で、無駄がない。

ついでに油揚げと がんも小 も注文。

 

「えー、えー、と。いくらになる?」

これはおばちゃんが発したセリフである。レジはなく、そろばんもない。申し訳程度においてある電卓はかっぴかぴで、ガラスに付いたセロテープもかっぴかぴで、おまけに棚の上のクレンザーもかっぴかぴだ。品書きはカレンダーの裏を使用、マジックの「細」の方で書いてある。そうじ当番の表を彷彿とさせる。

ガスコンロの上の鍋が猛烈に煮立っている。

「あれ何煮てんすか」

「いも」

「いいなぁ」

「お昼におとーさんが食べるから」

 

おとーさんがカブ(バイク)で帰還。おとーさん、とは旦那さんの事で、おとーさんと言ってももう立派におじーさんである。そして便宜上おばちゃんと書いていてもおばちゃんは立派におばーちゃんなのだ。

カブに乗って大丈夫なのか?と心配するくらいおとーさんは正直もうヤバくて、店のどんなものよりもかっぴかぴしている。受け答えは優しく柔和そのものだが、その後無意識に還っていくスピードがいささか早すぎやしないか?

でもきっと事故には遭わないだろう。彼が公道を運転するとみんな避ける。あぶなっかしいから。弱さはある一線を超えると強みに変わるらしい。交通安全ここに極まれり。

 

ふたりとも決して急がない。それとも急げないのだろうか。

店の外にも中にも、誰も居ない時がある。シンクの底の豆腐たちに名前を付けながら待つ事4分、奥からおばちゃんが出てくる。

「ごーめんなさいちょっと用事してて」

「全然待ってないから大丈夫です、洗濯っすか」

「いやまぁ、いろいろ」

 

俺は分かってるから大丈夫だよ。

奥で両手の水かき外してたんでしょ。えら呼吸から肺呼吸に切り替えてたんでしょ。

そうそう、こないだ大雨が降って道路が川みたいになった時も、えらい興奮してたじゃない。

「ねー!いや私ああいうのあんまり見た事ないから、もーおとーさんも心配やし、ねー!」

違うでしょ。故郷の激流を思い出したんでしょ。川を遡ったあの日の青春を想ったんでしょ。

 

出来立ての豆腐が食べてみたい。そう思い立ち営業時間を尋ねれば、

「朝、、、おとーさんが起きたら、、、んーわからない」

揚げたての厚揚げが食べてみたい。出来上がり時間の目安を尋ねれば、

「んー、、、、揚がったら」

いいぞぉその調子だ、ウォール街のビジネスマン達にも聞かせてやれ。

この店の豆腐の角に頭をぶつければ、誰もがゆるーく、のびーんとなるに違いない。

 

この店には

「厳選された素材を、じっくり、ていねいに、時間をかけて手作りしています」

「こだわりのおとうふです」

「とうふは専門店で!」

というような触れ込みや素ぶりが全くない。

水色でヨレヨレの暖簾が年中掛けっぱなしだから、ぱっと見で営業しているのかどうか分からないし、「豆腐屋の朝は早い」を飄々と無かった事にするし、消泡剤だって使っている。たまに髪の毛も入ってる。だから特定の人達は寄り付かない。

けれど店の客足が途絶えることもなく、仮に店じまいがあるとすれば、それはおとーさんが倒れた時だろう。その時はもうこの街から引っ越そう。

ふたりの「豆腐なんて別に大した事じゃない」というような物腰が、豆腐をとびきり美味しくさせている気がする。

それでも

「いやぁ豆腐はいろいろ食べるけど、ここの豆腐が一番美味しいっすね」と言えば

「そうでしょう(ニヤリ)」

と返すから、やっぱり大した事なんだろう。

 

 

 

話は、とある年末に戻る。

生まれてはじめて出来立ての豆腐を買い(行っても豆腐できてない→家に戻る を3回繰り返した)まだ温かく、湯気立ち上る黄金の冷奴を食べた時、俺は「この店に通い続けたい」と強く思った。

そしてその日の午後、

激しい腹痛と共に俺は文字通り、のたうち回った。

 

「あのクソ〇〇◯○、、、、!」

 

上からも下からも全てを出し切り、朦朧とした意識のなか正月を迎え、なんだか新しい自分に生まれ変わったみたいだ。

三が日も過ぎ、すっかり元気になり散歩ついでに豆腐屋をのぞくと、店に立つおばちゃんは少し元気がなさそうだ。

「風邪っすか?」

「んー風邪いうか年末からもう、、おとーさんも一緒になって寝込んで。休みも伸ばしてやっと戻って」

そうか。

3人で、のたうち回ってたのか。

 

俺は分かってるから大丈夫だよ。

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